上味見地域とは?
自然体験共学センターのある上味見地区は、旧美山町の南東に位置し、東は足羽川の上流にあたる飯降山麓で深山零谷の由来深い山里です。
上味見の中心地、中手地籍 旧上味見小学校付近は東経136度25分4秒、北緯36度57分20秒に位置する。戸数については、1673年(延宝1年)82戸の記緑がもっとも 古く歴史の重さを感じる地域です。

「脳卒中の予防に効果がある」「湯がつるつると美肌の湯」と言われる天然温泉で、動脈硬化症、火傷、慢性皮膚病、関節痛等に効果があるとされ多くの方が利用されています。土日祝日には、手打ちの伊自良そば、釜めしなどの軽食販売もあります。
上味見の歴史
この地城の歴史は長く、平安末期、即ち荘園時代は長承2年(1133年)参議、藤原成道の私領荘園として立荘された(醍醐寺文章より)地域である。現在の上、下味見地域は、小山荘内の「河原郷」と呼ぱれ折立村、河原村、味美村、有羅河内村の4箇所が書き記されている。
その中の「味見村」は中手を中心とした村、「有羅河内村」は小山庄小山郷と考えた時、河内区 的坂の山を越えた裏の河内ど呼ぱれたものであろ(醍醐雑事記)と推察できる。
次に室町時代の初め、永淳12年(1440年)の頃は、春日神社領即ち興福寺一条院領で「小山庄内紙山保五箇村の内」とI呼ぱれていた。(越前国大野郡小山庄田数諸済等帳)
安土挑山|時代は、天正3年(1575年)大野領主、金森長近の領となり、長谷川秀一、徴 田秀雄へと領主が経緯している.。
慶長.5年(1600年)大野郡が福井藩となったときは、大野木本領主、加藤宗月領5000石の内にあり、宗月は伊自良氏や村民とともに中手、樺神社の再建に協.力している。
江戸時代は大野藩、土井氏の領となり、明治の廃藩置県にいたるまで続いてきた。近世になって、昭和30年美山村合併で大野郡から足羽郡になった。
(平成15年9月 上味見地区区長会作成「上味見地区新まちづくりプラン」より)
平成17年2月に福井市、美山町、清水町、越廼村の1市3町が合併し、新たな歴史を歩みはじめた。
地域の民話
上味見には様々な民話が残されています。民話を通して、自然やそこに住む人々、その時代の様子などを伝えてくれる貴重な資料の一つです。その一部を紹介しましょう。
上味見地域の民話