上味見地域の紹介上味見地域とは?自然体験共学センターのある上味見地区は、旧美山町の南東に位置し、東は足羽川の上流にあたる飯降山麓で深山零谷の由来深い山里です。 上味見の中心地、中手地籍 旧上味見小学校付近は東経136度25分4秒、北緯36度57分20秒に位置する。戸数については、1673年(延宝1年)82戸の記緑がもっとも 古く歴史の重さを感じる地域です。上味見生涯教育施設 (NPO法人自然体験共学センター) この地域の自然や人、生活の知恵などを素材に、様々な自然体験活動を提供しています。ツリーハウスの森 2006年の活動の中でつくったツリーハウスがあります。森の中にあるその空間は、子ども達にも大人気。今では、森の活動の拠点となっています。森の子田んぼ・畑 田んぼやその周りには、いろいろな生き物が暮らしています。お米を育てるだけじゃなくて、いろいろなしぜんが発見できます。畑では季節ごとの様々な野菜を育て、活動でも使われています。のつまた館 冬合宿や春キャンプなどの時に宿泊する施設です。暖炉などがある昔ながらの民家です。樺八幡神社 貴重な文化財が残るとても神聖な神社。大きな木のこかげがあり、夏でも涼しく感じます。高橋金蔵商店 毎朝手作りのおとうふ屋さん。キャンプ中朝食のおみそ汁に入れるおとうふを買いに行くこともあります。 上味見のおいしい水で作る豆腐は地域の方にも好評ですもみじたまご 少し珍しい卵の自動販売機です。近くに養鶏所があるので、毎朝新鮮な産みたての卵が並びます。飯降山(いいふりやま) ”空から飯が降ってくる…。”という民話の残る山。上味見を見守るようにそびえています。伊自良の里 はるか昔、この地を治めていた伊自良豪族。その伊自良氏が様々な町づくりに取り入れられています。 温泉、資料館、広場などがあり、活動でもよく遊びに行きます伊自良温泉 「脳卒中の予防に効果がある」「湯がつるつると美肌の湯」と言われる天然温泉で、動脈硬化症、火傷、慢性皮膚病、関節痛等に効果があるとされ多くの方が利用されています。 土日祝日には、手打ちの伊自良そば、釜めしなどの軽食販売もあります。ドラゴンランチ 温泉からしばらく奥へ進むと山に囲まれたのどかな地に、4頭の馬が暮らしています。森の子自然学校の活動でも毎年お世話になっている場所です。上味見の歴史 この地城の歴史は長く、平安末期、即ち荘園時代は長承2年(1133年)参議、藤原成道の私領荘園として立荘された(醍醐寺文章より)地域である。現在の上、下味見地域は、小山荘内の「河原郷」と呼ぱれ折立村、河原村、味美村、有羅河内村の4箇所が書き記されている。 その中の「味見村」は中手を中心とした村、「有羅河内村」は小山庄小山郷と考えた時、河内区 的坂の山を越えた裏の河内ど呼ぱれたものであろ(醍醐雑事記)と推察できる。 次に室町時代の初め、永淳12年(1440年)の頃は、春日神社領即ち興福寺一条院領で「小山庄内紙山保五箇村の内」とI呼ぱれていた。(越前国大野郡小山庄田数諸済等帳) 安土挑山|時代は、天正3年(1575年)大野領主、金森長近の領となり、長谷川秀一、徴 田秀雄へと領主が経緯している.。 慶長.5年(1600年)大野郡が福井藩となったときは、大野木本領主、加藤宗月領5000石の内にあり、宗月は伊自良氏や村民とともに中手、樺神社の再建に協.力している。 江戸時代は大野藩、土井氏の領となり、明治の廃藩置県にいたるまで続いてきた。近世になって、昭和30年美山村合併で大野郡から足羽郡になった。 (平成15年9月 上味見地区区長会作成「上味見地区新まちづくりプラン」より) 平成17年2月に福井市、美山町、清水町、越廼村の1市3町が合併し、新たな歴史を歩みはじめた。地域の民話上味見には様々な民話が残されています。民話を通して、自然やそこに住む人々、その時代の様子などを伝えてくれる貴重な資料の一つです。その一部を紹介しましょう。 上味見地域の民話 2014年1月17日
上味見地域の紹介
上味見地域とは?
自然体験共学センターのある上味見地区は、旧美山町の南東に位置し、東は足羽川の上流にあたる飯降山麓で深山零谷の由来深い山里です。
上味見の中心地、中手地籍 旧上味見小学校付近は東経136度25分4秒、北緯36度57分20秒に位置する。戸数については、1673年(延宝1年)82戸の記緑がもっとも 古く歴史の重さを感じる地域です。
(NPO法人自然体験共学センター)
この地域の自然や人、生活の知恵などを素材に、様々な自然体験活動を提供しています。
2006年の活動の中でつくったツリーハウスがあります。森の中にあるその空間は、子ども達にも大人気。今では、森の活動の拠点となっています。
田んぼやその周りには、いろいろな生き物が暮らしています。お米を育てるだけじゃなくて、いろいろなしぜんが発見できます。畑では季節ごとの様々な野菜を育て、活動でも使われています。
冬合宿や春キャンプなどの時に宿泊する施設です。暖炉などがある昔ながらの民家です。
貴重な文化財が残るとても神聖な神社。大きな木のこかげがあり、夏でも涼しく感じます。
毎朝手作りのおとうふ屋さん。キャンプ中朝食のおみそ汁に入れるおとうふを買いに行くこともあります。
上味見のおいしい水で作る豆腐は地域の方にも好評です
少し珍しい卵の自動販売機です。近くに養鶏所があるので、毎朝新鮮な産みたての卵が並びます。
”空から飯が降ってくる…。”という民話の残る山。上味見を見守るようにそびえています。
はるか昔、この地を治めていた伊自良豪族。その伊自良氏が様々な町づくりに取り入れられています。
温泉、資料館、広場などがあり、活動でもよく遊びに行きます
「脳卒中の予防に効果がある」「湯がつるつると美肌の湯」と言われる天然温泉で、動脈硬化症、火傷、慢性皮膚病、関節痛等に効果があるとされ多くの方が利用されています。
土日祝日には、手打ちの伊自良そば、釜めしなどの軽食販売もあります。
温泉からしばらく奥へ進むと山に囲まれたのどかな地に、4頭の馬が暮らしています。森の子自然学校の活動でも毎年お世話になっている場所です。
上味見の歴史
この地城の歴史は長く、平安末期、即ち荘園時代は長承2年(1133年)参議、藤原成道の私領荘園として立荘された(醍醐寺文章より)地域である。現在の上、下味見地域は、小山荘内の「河原郷」と呼ぱれ折立村、河原村、味美村、有羅河内村の4箇所が書き記されている。
その中の「味見村」は中手を中心とした村、「有羅河内村」は小山庄小山郷と考えた時、河内区 的坂の山を越えた裏の河内ど呼ぱれたものであろ(醍醐雑事記)と推察できる。
次に室町時代の初め、永淳12年(1440年)の頃は、春日神社領即ち興福寺一条院領で「小山庄内紙山保五箇村の内」とI呼ぱれていた。(越前国大野郡小山庄田数諸済等帳)
安土挑山|時代は、天正3年(1575年)大野領主、金森長近の領となり、長谷川秀一、徴 田秀雄へと領主が経緯している.。
慶長.5年(1600年)大野郡が福井藩となったときは、大野木本領主、加藤宗月領5000石の内にあり、宗月は伊自良氏や村民とともに中手、樺神社の再建に協.力している。
江戸時代は大野藩、土井氏の領となり、明治の廃藩置県にいたるまで続いてきた。近世になって、昭和30年美山村合併で大野郡から足羽郡になった。
(平成15年9月 上味見地区区長会作成「上味見地区新まちづくりプラン」より)
平成17年2月に福井市、美山町、清水町、越廼村の1市3町が合併し、新たな歴史を歩みはじめた。
地域の民話
上味見には様々な民話が残されています。民話を通して、自然やそこに住む人々、その時代の様子などを伝えてくれる貴重な資料の一つです。その一部を紹介しましょう。
上味見地域の民話